放蕩息子の漂流

  旅に出ようと思ったその一点を指摘するのは難しいが、動機になったものが何かははっきりと分かる。高校の頃、父の書斎から抜き出した『深夜特急』だ。香港からロンドンまでのその広大な旅は、世界の美しさと醜さ、人間の逞しさと弱さを映し出していた。片田舎で暮らしていた僕は、いつかこの目でその広大な世界を見たいと強く思った。今思うと『深夜特急』を手に取ったあの時から、この旅は始まっていたのだ。

  スーツ姿の同期たちがキャンパスを歩く1月、彼らとは真逆の道を進みながらぼくは大学に休学届けを提出した。住み慣れた四畳半は何も無くなり、僕の傍には小さなバックパックが1つ残っただけだ。旅はもうそこまできている。

  この旅を始めるにあたって、多くの人に見送ってもらった。サークルのみんな。大学の友達。地元の友人。バイト先の人達。みんなに感謝を言いたい。旅がしたいという道楽にしか聞こえない理由にも休学許可を出してくれた大学の方達にも感謝したい。そして最後に、この放蕩息子の我儘を許してくれ、笑って見送ってくれた両親に感謝したい。人前で身内に感謝するのは恥ずべき事だが、ここでは許してほしい。

  この旅がどうなるか、今は全く分からない。行ってみて、世界は大したことなかったと思うかもしれない。しかしそれならばそれでいい。どうであろうと、この目で見てみたい。インターネットを通してでは無く、自分自身を通して世界を感じたい。そのために僕は旅をする、とここで宣言しよう。これが、放浪紀行宣言だ。

  放蕩息子の漂流が始まろうとしている。明日はどんな世界が待っているのか。寝ている時も、僕の目は常に起きている。さあ、出発の鐘が鳴っている。