登山れ、女神の祝福の階段を

 「何故山に登るのか?」という問いに、「そこに山があるから。」と答えたのはジョージ•マロリーという登山家だ。本当はエベレストのことを指しているそうだが、日本ではこのような問答として知られている。この話は有名で様々なところで散見されるが、しかし僕はこれがあまり好きではない。「何故山に登るのか?」という問い自体が下らないし、「そこに山があるから。」という答も偽善的だからだ。登山という行為にあるのは、そんな平易な問答ではない。何故登るのかは分からない。しかしただ、山に登りたいという単純で強烈な情動にのみ登るのだ。僕はそうして山に登ってきた。その想いの前には、「何故山に登るのか?」という陳腐な問いは蹴り飛ばされ消え去っていく。

 僕は大学で山岳サークルに所属している。しかし何も大学に入る前から登山をやりたいと思っていたわけでは決して無い。大学に入った当初は映画サークルに入りたかったのだ。昔から映画好きだった僕は、大学に合格したら映画サークルで自分の作品を撮り、平成のゴダールになることを夢見て日夜受験勉強に励んでいた。

 しかしついにやって来た大学のキャンパスで、映画サークルのブースを探していた僕は、大きな看板を掲げた人達に半ば拉致されるように強引に連れ去られてしまった。彼らは「昼飯食べるっしょ。行こうよ、行こうよ、行くよね!?」と矢継ぎ早に話しかけ、僕の答えも待たずにグングンと進んでいってしまった。看板をよく見ると、山の絵と共に、“君の人生、変えたくないか?”という文字が書かれていた。

 これが僕のサークルとの最初の出会いだ。かなり強烈なサークルで、毎日のようにごはんを奢ってくれ、また24時間ずっと何かをして騒いでいた。昼は大学近くの安食堂でほぼ油で出来たような定食を食べ、それが終ると部室で遊び、夜は行きつけの居酒屋で語り合い騒ぎ合い、空が白んでくる頃には第二の部室と呼ばれている先輩の下宿先に向かい、昼頃まで眠る。そしてまた安食堂に行く、という天国のような地獄のような日々がずっと続いていた。そして先輩達は誰1人として授業には行かなかった。

 映画サークルを探していた僕だったが、平成の現代に昭和の学生のような日々を送っているこのサークルのバンカラさに惹かれ、当初の目的を忘れて毎日のように彼らの新歓に参加していた。そして気がつけば登山靴を買い、合宿に行き、いつの間にかサークル員になっていた。だが登山について全くの初心者だった僕は、始めた当初は登山の楽しさがよく分からなかった。ただ先輩たちや同期のみなと一緒にいるのが楽しく、だからよく分からず合宿についていっていた。

 しかし先輩達がサークルの活動に自身の全てをかけて取り組んでいる姿勢に感銘を受け、登山という行為以上の何かがこのサークルにはあると感じた。そして自分もそうなりたいと続けてきた結果3年という月日が流れ、いつしかリーダーとして後輩と共に合宿を行う立場になっていた。そこには確かに山に登るという行為以上の何かがあった。そしてそれは途方も無く素晴らしいものだった。僕はこのサークルを愛している。そして登山を愛している。

 そんな僕にとってヒマラヤはやはり特別なものがあった。登山者としてはまだまだ初心者だが、やはり登山をやっているものとしてヒマラヤをこの目で見たかった。「そこにヒマラヤがあるから」行ったのではない。「ヒマラヤに会いたい」という強烈な想いが僕をネパールへと駆り立てたのだ。

 ニューデリー発の飛行機は短いフライトを終え、カトマンドゥのトリブバン国際空港へと降り立った。ネパール唯一の国際空港であるトリブバン空港はしかし、僕の地元の駅ほどに簡素なものだった。ちなみに僕は四国の生まれだ。驚くほど閑散とした空港を抜けると、おなじみの客引き達を追い払いながら安宿街へと向かった。

 ネパールに来た目的のほとんどはヒマラヤにあるといってよかった。たしかにネパールの文化や生活にも興味はあったし、ブッダ生誕の地であるルンビニにも惹かれていた。だが天候が良いうちに一刻も早くヒマラヤを拝みたかった。しかしヒマラヤと一口に言ってもそれは五国に渡る広大な山脈である。ネパール国内においても、行く地域によって見える山は当然違う。ヒマラヤと意気込んでいる割に知っている山はエベレストやK2くらいで、恥ずかしながら他のことはよく知らなかった。

 また、ヒマラヤを拝みにきたがトレッキングなどをするつもりは無かった。第一に装備を持っていないし、旅の荷物を担ぎながら登山をするのはさすがにきつかったからだ。するとしても日帰りの軽いトレッキングだろうと考えていた。そうして調べてみると、最高峰のエベレストを見るためにはカトマンドゥからかなり登らなければならないことが分かった。それに比べ西にあるポカラという街からは山に登らずともヒマラヤの山々が見えるようだ。僕はすぐさまポカラに向かうことにした。

 カトマンドゥで一夜を過ごすと、次の日の朝のバスでポカラに向かった。ネパールの道路はカトマンドゥ市内からすでに荒れたオフロードで、郊外に出る頃にはマッドマックスも驚くほどのデスロードと化していた。しかも何かの圧力がかかったのか、急に窓ガラスが粉々に大破するという事故も起きた。発砲されたのかと思い僕を含めた乗客は身を伏せたが、添乗員はよくあることなのか、「ごめんなさいね〜」という軽い表情で割れたガラスを掃除していた。ネパールもインドに負けず劣らず常識を崩される国のようだ。

 バスは曲がりくねった山道を進み、日が暮れる頃にようやくポカラに着いた。バスを降りるとホテルやゲストハウスの客引きが大勢いた。いつもは追い払う彼らだが、今回は日が暮れかけているのと安宿街について調べていなかったこともあって、彼らの商談を聞いてみることにした。様々な宿がある中で最も安かったのは、日本語を流暢に喋るおじさんのゲストハウスだった。マレーシアでの経験から日本語の上手い外国人は信用しかねたが、おじさんはどうも悪い人には見えなかった。結局、「うちの宿はヤバイいいよ〜」と笑顔で語る彼についていってみることにした。彼のバイクの後ろで揺られながら話を聞くと、日本で山岳ガイドの仕事をしていたことがあるらしい。だから日本語が堪能なのかと納得していると宿に着いた。 

 ドミトリーは値段に相応な部屋で、既に2人の先客がいた。スペインから来た女性とイギリスから来た男性だった。女性の方は明日からトレッキングに出かけるようで、色々とパッキングをしていた。男性はすでにトレッキングを終えたらしく、彼女の相談に対してアドバイスをしていた。トレッキングは楽しいだろうなと羨ましく思いつつ、そんな彼らを横目にグーグー眠りについた。

 次の日、目覚めるとすぐに街へと繰り出した。もちろんヒマラヤの絶景を見るためだ。しかしどれだけ周りを見回しても全く山の姿は無い。確かに天気は良いのだが、山があるはずの方角は薄い靄のようなものがかかっていて何も見えないのだ。 

 一体どういうことかと訝しみながら宿へ戻ると、イギリスから来た彼が起きていた。軽く挨拶を交わすと、彼が尋ねてきた。

「どこ行ってたの?」

「ヒマラヤの山を見に外に出たんだけど、何も見えなかったんだよ。ポカラは市内から山が見えるって聞いてたんだけど….。」

「ああ。今の時期はここからは見えないよ。冬場ならキレイに見えるけど。この時期はトレッキングして高地まで上がらないとダメだね。」

 何と言うことだろう。トレッキングを終えた彼をして曰く、梅雨も迫ったこの時期はポカラ市内からはヒマラヤを見られないと言うのだ。そんなことがあっていいのか。じゃあ一体何故ここにいるのかとショックに頭を抱えていると、その様子を見ていた彼がこう言った。

「なあに、トレッキングすればいいじゃない。そうすれば素晴らしい景色に出会えるよ。」

 たしかにトレッキングをすれば見えるだろうが、あいにく僕は装備を何一つ持っていない。あるのは寝袋くらいだ。そう伝えると彼は持っていた地図を開きながら、説明し始めた。

 彼の話を聞けば、この地域のヒマラヤ山脈はアンナプルナという連峰で、その全てを周回するコースだと20日ほどかかる。しかしアンナプルナのベースキャンプまで往復するコースだと5〜7日ほどの日程で行え、地元の人々が普段使っている村道がコースのほとんどだから、スニーカーでも行けると言うのだ。バックパックは既に持っているのだから、残りの登山服や雨具などはここで調達すれば良いということだった。

 当初はやっても日帰り程度のトレッキングしか考えていなかった僕だったが、彼の話を聞けば聞くほど、ベースキャンプのコースが現実味を帯びてきた。他にも3日ほどのコースもあったが、ベースキャンプからの景色はそれとは比べ物にならないそうだ。ゲストハウスの主人も「全然簡単なコースだよ〜。ダイジョブダイジョブ〜。」と勧めていた。しかもトレッキングをしている間、不必要な荷物は無料で預かってくれるようだ。こうなればもうやるしかない。僕はトレッキングの準備に取りかかることにした。

 それからの3日ほどはほとんど準備をして過ごした。登山許可証を発行してもらい、登山店で必要なものを買い揃え、地図を用意し大まかな山行計画を立てた。ポカラの登山店は恐ろしく安く、明らかにニセモノのノースフェイスやアークテリクスの商品がユニクロ以下の価格で売られていた。したがって装備を買い揃えても大した額にはならなかった。最後にトレッキングを勧めてくれた彼からストックを譲ってもらい、準備は万全に整った。

 

 

 

f:id:wonderwalls:20170801224111j:plain

本文では紹介しそびれたが、ポカラにいた時によく通った食堂の女将さんと看板娘のアシュカ。ポカラのメインストリートには観光客向けの欧米風レストランが多いが、1つ裏路地に入ればこの店のような地元民向けの食堂がある。

 

f:id:wonderwalls:20170802162459j:plain

そしてその食堂で食べたネパール名物“モモ”。餃子に似ているが、特徴はチリソースで食すこと。安くて美味く、毎日食べた。“モモ”という名前に出会ったのは、ミヒャエル•エンデのあの小説以来だ。

 

 

 トレッキング前日の午後に、スタート地点である麓の村まで向かった。スタート地点とはいえ既に山の中にひっそりと佇むそれは、日が落ちた後の深淵に包まれていた。街を囲む静寂の中を進む僕は、ふと単独行が初めてであることに気がついた。いつもならば前日のアプローチにもサークルのメンバーがいて、たわいのない会話をしているのだが、今は全くの独りだ。遠くで聞こえる犬の鳴き声や鳥の羽音にまで神経が尖ってくる。山で1人とはここまで孤独なものとは知らなかった。多少の心細さを感じていると手前に家々が見え、看板にゲストハウスの文字が書かれていた。僕は急いでその中の一軒に飛び込んだ。

 次の日の朝、チョコレートバーで朝食を済ませた僕はトレッキングコースへと足を踏み入れた。想定では行き3日、帰り3日の6日間での行程を考えており、この日はチョムロンというポイントまで行く予定だった。トレッキングコースとはいってもここからかなり先のポイントまではバスが通っているので、しっかりとした車道をテクテクと歩いていく。

 途中で車道は終り、山道へと変っていった。ここからが本番というわけだ。小川や新緑に彩られたコースを軽快に進んでいく。ネパールの山道、というより山は日本のそれと非常に似ており、ここは谷川かと思われるような道が続いている。久々の感覚に懐かしさを覚えながら、すれ違う人々と挨拶を交わしていく。梅雨も近づいたこの時期ではあるが登山客は少なく無く、様々な人種の人々がいた。ヨーロッパの山々を登るよりかなり安いためか欧米人も多く、後は中国や韓国の人々もたくさんいた。日本人はほとんどいなかった。

 昨年まで40kg近い荷物を背負って縦走をしていたので、20kgにも満たないバックパック1つでの登山に最初は余裕をかましていたが、ブランクのせいか単純に老いのせいか徐々に息が切れ、ペースが見る見る落ちて来た。しかしその主因はどんどん険しくなってきた村道にあっただろう。話を聞いていた限りではここまでの道は想像していなかった。何しろほとんどが村の道だという話だったからだ。しかしここで僕は自分の考えの甘さを思い知った。

 村の道、と聞いて僕は日本の村々を想像していた。平野に広がる田んぼの中に家々が点在する牧歌的な風景だ。しかし同じ村でもネパールのそれは山の奥地で斜面にへばりつくように存在している。そうなれば村道も当然ながら、ここが生活用の道であることが信じられないほどの険しさになってくる。川を跨ぎ、岩を飛び越え、吊り橋を渡る。なるほど彼らの言っていたのはネパール人の感覚としての“普通の村道”だったのか。1日目でこれでは先が思いやられると、僕はアディダスのスニーカーに目を落とした。

 ルートファインディングに関して言えば、コースが単純明快なことと多くの標識があることから迷う心配は低かった。しかしいくつかのポイントで紛らわしい道があり、川を渡る手前でその内の1つに遭遇した僕は、近くにいた2人組に道を尋ねた。彼らもアンナプルナを目指しているようで、たぶんこの道だと教えてくれた。

 その時は礼を言いすぐに先に進んだが、ペースがほとんど同じために、僕が休んでいると彼らが追い抜き、彼らが休んでいると僕が追いつくといった具合に、ほとんど彼らと並走しているような形になった。そうしていると何回目かの遭遇の際に、2人のうちの片方がこう言った。

「僕らはもう一緒に登っているのと同じだね。一緒にトレッキングしないかい?」

 こうして僕らは共に登山をすることになった。アメリカから来た彼らはアンドリューとコーリーンといい、会った時は夫婦か何かだと思っていたが、話を聞けば職場の同僚だそうだ。彼らはNGOの職員で、貧困層にある女性や子ども達を支援するためにネパールに来たそうだ。そして仕事が終ってアメリカへ帰る前に、トレッキングをしているらしい。「他の同僚は仕事が終るとすぐに帰っちゃったけど、ネパールの自然や文化に触れずに帰っちゃうなんてもったいないよね。」と話す彼らはとても気さくで、すぐに仲良くなった。拙い僕の英語にレベルを合わせてくれ、ゆっくり話してくれるので、英検3級の知識でも何とか会話をすることが出来た。

 道中は様々な話をした。彼らの仕事に関する話題から日米の政治に関する話、果てはアメリカのポップスに至るまで、話は多岐に渡った。特に印象に残っているのは、彼らが休憩の度に持っているシリアルバーをくれるので、申し訳なく思いそれを伝えると、僕らもトランプを大統領にさせてしまったことで世界中の人々に申し訳なく思っているから、これでおあいこだよと言って笑っていたことだ。洒落の通じる彼らと会話を楽しんでいると、険しい山道もどんどん前へと進んでいった。

 彼らの計画は2日で登り2日で下るというかなりハードな行程で、この日はバンブーという地点まで行くということだった。別にどこで泊まらなくてはいけないということも無かったので、一緒に行ってみることにした。しかし思いのほか時間がかかり、どうもバンブーには間に合わないということになったので、チョムロンを少し越えたポイントで宿を取ることになった。2人とは別の部屋を取ろうとしているとアンドリューが、君が良ければ一緒に3人部屋で泊まらないかと尋ねてきた。もちろんイヤなわけは無いので、何と部屋まで共にさせてもらうことになった。こうして僕らは寝食を共にする1つのパーティーになったのだった。

 3人でミーティングをした結果、どうも2日でベースキャンプまで辿り着くのは難しいということになり、3日で余裕を持って登ることになった。そして明日はベースキャンプ手前にあるデウラリというポイントまで進むことにした。翌朝も早いので、夕飯を済ませるとすぐさま寝床に着いた。

 次の日、好天に恵まれた僕らはサミットを目指して出発した。そろそろ木々が少なくなり平原や氷河が視界に現れるかと思っていたが、まだまだ谷川の景色だ。お互いのペースを確認し合いながら、一行はヒマラヤの大地を踏みしめていった。しかし午後になるにつれて天気は下り坂になり、小屋に着く頃には滝のような雨が流れていた。全身水に浸された僕らは何とか今日の寝床へと辿り着いた。夕食で食べたダルバートが体に染み渡った。

 

 

 

 【特集】シティーボーイのABC(アンナプルナ•ベースキャンプ)

やあみんな、元気してるかい。シティーボーイにとって楽しみな夏休みがやってきたけど、みんなはどう過ごそうとしているのかな。海辺でのサーフ、ミニシアターで映画三昧、気の合うクルーでドライブしてチルアウトなんてのも外せないよね。でも今年は登山っていうのはどうだろう。今ポートランドやブルックリンよりもヒップな街、ポカラからは数日でヒマラヤの大景色まで行けちゃうんだ!その名もアンナプルナ•ベースキャンプ、通称ABC。あの憧れのヒマラヤに君もチャレンジしてみないかい。

 

1.雨が降ったらレインコートを、チャイにはマサラを。

せっかくの楽しい登山も、快適に登れなかったら気分がブルーだよね。特に防水対策はしっかりとしておきたいところ。何でも8~9月はネパールで1番雨が多い時期なんだって。だから雨具やスパッツ類は必ず持って行こう。登山靴も雨を通さないしっかりしたものが良いね。間違ってもスニーカーなんかで登っちゃダメだよ。そして冷えた体はマサラチャイで暖めよう。

 

2.こんなロッジに泊まりたいんだ。

登山と聞いてテントを買おうとしたそこのキミ。心意気はナイスだけど、その必要は無いんだ。なんたってABCのコースにはステキなロッジがたくさんあるからさ。しかも1泊1000円くらいでとてもリーズナブル。日本だと手が出ない小屋泊も、ネパールだと気軽に出来るんだ。テラスで夕暮れを眺めながらビールで乾杯なんて、ステキじゃないか。

 

3.なんでこんなにカレーが好きなんだろう。

おなかが空いた時、道行くロッジや食堂には美味しそうなメニューが並んでいる。トマトパスタも魅力的だし、チャーハンも捨てがたい。中にはブリトーなんて売っているところもある。でもABCに来たなら、ぜひダルバートを食べよう。ダルバートはネパールカレーのことで、ネパールではとてもポピュラーな食べ物なんだ。見た目はインドのミールスなんかに似ているけど、インドカレーと違ってマイルドで、キミの口にもきっと合うはず。しかもルーや付け合わせはおかわり自由なんだ。ダルバートで力をつけて、さあABCまで後少し!

 

 

何て楽しそうな登山だろう。みんなにも是非行ってほしいな。え、肝心のアンナプルナについて何も書いてないって?そこは『放浪紀行宣言』を最後まで読めばその素晴らしさが分かるから、チェックしてみてね。じゃあ、またね。

 

次号特集『僕の好きなカトマンドゥカトマンドゥですべき101のコト〜』

 

 

  閑話休題。さて、いよいよベースキャンプを目指す日になった。朝のコーヒーで気分を落ち着けると、ザックを持ち上げた。アンナプルナベースキャンプの手前にはマチャプチャレベースキャンプがあり、ひとまずそこまで進むことにした。ここまで来ると木々も少なくなり、草原のような広々した景色が広がっている。山頂側に来たということなのか天気は不安定で、雲は速いスピードで流れていた。視界は悪く雨も激しくなってきたので、マチャプチャレベースキャンプの小屋に入って様子を見ることにした。

 雨が止むのを食堂で待っていると、小屋で泊まっている人達がやってきた。その中のスペインから来たというヒッピー風のカップルは、ABCが晴れるのを1週間も待っているという。そんなに待ってもこれから天気はますます悪くなる一方なのにと思っていると、彼らがいなくなった時にアンドリューがこう言った。

「なあ、シンタロウ。彼らは、登山や旅の楽しみは綺麗な景色や目的地にあると思っている。だから1週間も待っているんだ。確かにそれも大きな目的だけど、でも大事なのはそこじゃなくて過程なんだ。登山や旅はそこにいくまでの過程やそれ全体が素晴らしいものなんだよ。だから頂上で良い景色が見られなくても、僕はこの旅に満足してるよ。」

 アンドリューの言う通りだった。僕もサークルで登山をしていた時、確かに美しい景色に会えた時は嬉しかったが、それよりも合宿そのものやそこに至るまでの取り組みの方が大事だと思っていた。その行為全てが美しいと思っていたからだ。なのでアンドリューやコーリーンが同じ考えであることを嬉しく思った。彼らとパーティーを組めたのは、本当に幸せなことだ。そして雨が弱まったのを見て、僕らは外へ出た。スペインから来た彼らはまだ食堂で外の景色を眺めていた。

 ベースキャンプからABCまでの2時間足らずの道程は、清々しいほどに素晴らしいものだった。広大な平原の中に氷河が点在し、ナキウサギの鳴き声が響く。建物は無く、人も無く、あるのは山と氷河と風だけだ。その頃には雨も止み、僕らはヒマラヤの自然に抱かれるようにそこにあった。

 到着したアンナプルナベースキャンプは、2つのロッジのある広々とした場所だった。プロの登山隊はここから登山がスタートだが、僕らの登山はここまでだ。まだ下りがあるが、ついに目的地へと辿り着いたのだ。少なくない登山客がそこにはいて、みな空が晴れるのを待っていた。

 空は相変わらずの曇り空だった。途中で晴れるかと思われる時もあったが、結局アンナプルナが姿を現すことはなく夜がやって来た。景色が見えなくても楽しい登山だったが、やはりここまで来たら少しくらいはヒマラヤの山々を拝みたい。希望を明日の朝に託し、眠りに着いた。

 次の日の朝、一番に外に出たコーリーンの興奮した声で目が覚めた。「山が見えるよ。雲がドンドン晴れて来てる!」急いで外に出ると、昨日まで姿を隠していた山々が現れようとしていた。僕らは急いで展望台まで駈けていった。

 アンナプルナの主峰はまだ雲に覆われていたが、他の山々は曇り空ではあるがその姿を見せていた。アンナプルナ麓の氷河も姿を現し、僕らは長い間、静寂の世界に身を浸した。しかし雲がすぐにやってきて山を隠し始め、そしてまた曇天になってしまった。完全な景色とは言えなかったが、少しでも山々が見えたことに満足し、僕らは下山の準備を始めた。

 相変わらず雲に包まれたアンナプルナを背に、僕らはABCを出発した。しかしそこからほんの10分も経たない、アンナプルナの看板がある辺りで僕らは立ち止まった。そのときある奇跡が起きようとしていたのだ。

 先ほどまでアンナプルナを覆っていた雲が急速に姿を消し始め、その先から輝く朝陽が顔を出し始めていた。体を照らす陽光に気がつき僕らが足を止めると、そこでは景色が一変しようとしていた。厚い雲はどこかへ行き、360度が晴れ渡り、世界の尾根、アンナプルナがついに僕らの前に姿を現したのだ。

 ついに対峙したアンナプルナは、晴れ渡った空の中で超然と屹立していた。その姿は雄々しく、そして美しく、ここまで来た僕らを祝福しているようにも、また冷たく見下ろしているようにも見えた。エベレストよりも厳しいといわれるこの山には、他を圧倒する緊張感があり、それが静かにその場を支配していた。陽光を受けて輝く岩肌は、無骨な男の肌にも、絹のように滑らかな若い女の肌にも見え、その山々の連なりは青いキャンバスを真白で繊細なタッチで駆け巡り、寸分の狂いも無い自然の芸術を表出させていた。

 

 

 

f:id:wonderwalls:20170801223913j:plain

アンナプルナ南峰。早朝の張りつめた空気の中に聳えるその姿は、神々しいほどに美しかった。

 

f:id:wonderwalls:20170801224044j:plain

マチャプチャレ。「魚の尾」と呼ばれるそれは、青空の中を悠々と泳いでいた。

 

 

 僕らは言葉を失い、ただそこに立ち尽くした。僕は俗に神と言われるものを信じないが、この時ばかりは人間の存在を超えた何かを感じた。後で知ったことには、アンナプルナは豊穣の女神と呼ばれているらしい。最後の最後に、僕らは女神の祝福を受けたのだった。ようやく腰を上げ下山を再開すると、ベースキャンプの方から昨日のスペイン人カップルが急いで登ってきていた。しかしその頃にはまた雲が山にかかろうとしていた….。

 その日の夜、僕らは露天温泉に入った。下山途中のジヌーというポイントには露天の温泉があるのだ。アンナプルナが見られたことにネパールビールで祝杯を上げた僕らは、山の中にある温泉へと向かった。

 宿のすぐ近くにあると思っていたそれは、山道を進めど進めど現れず、20分ほど下った川のほとりにようやく現れた。受付のような建物があってその隣に温泉があるものとばかり想像していたが、そこには森の暗闇の中になみなみと湧き出る温泉が裸のままポツンとあるのみだった。そこにあると知らなければ過ぎ去ってしまいそうなほど自然と同化している。

 僕らは服を脱ぎ捨て生まれたままの姿になると、その泉へと飛び込んだ。天然で湧いているその湯加減は丁度良く、トレッキングで疲れた体に染み渡った。川の流れる音と僕らの息づかい、温泉の湧き出る音以外にそこには無く、静寂が辺りを包んでいた。暗闇の森に目を向けると、幾つもの光が辺りを漂っている。蛍だ。そして空を見上げると、そこには無数の星空が広がっていて、その中に佇む月が僕らを優しく照らしていた。ヒマラヤのただ中に僕らだけだった。その尊さと、もうすぐやってくる2人との別れを感じながら、僕は星空に近づこうとする蛍をいつまでも見ていた。

 その後無事に下山した僕らはアメリカで再会することを約束し、アンドリューとコーリーンは帰っていった。僕のネパールビザも残り少なくなっていたので、カトマンドゥに戻ることにした。次の国はモロッコだ。夕刻のフライトまでの1日を、カトマンドゥ観光をして過ごすことにした。カトマンドゥにはこれといって観光スポットは多く無いので、2人が勧めてくれたモンキーテンプルまで行ってみることにした。

 モンキーテンプルは猿が多いので観光客からはそう呼ばれているが、本来はスワヤンブナートという立派な寺院である。寺院は丘の頂上にあり、そこまで延々と続く階段を登らなくてはならない。また登るのかと汗をかきながら進んでいると、隣で猿がこっちを見て笑っていた。

 辿り着いたそこからは、カトマンドゥの市内が一望出来た。ここはドラマ版『深夜特急』のネパール編で、カトマンドゥに到着した大沢たかおが初めにやってきた場所らしい。彼のネパール旅はここから始まったが、僕のネパールはここで終るようだ。トレッキングで全てを過ごしたネパール旅だったが、アンドリューやコーリーンとの出会いから女神の祝福まで、幸運に恵まれた旅であった。何より電波も入らない環境の中で、仲間と共に自然と向かい合い、自然のただ中にあったこの5日間は、登山というものの尊さを改めて感じさせてくれた。やはり僕は登山を愛している。

 

 

f:id:wonderwalls:20170801232732j:plain

スワヤンブナート頂上からのカトマンドゥ市街。次にここに来る時はどのような景色としてこの眼に映るだろうか。

  

 眼下に広がるカトマンドゥは長閑な姿で、その向こうには山々が見える。そのさらに向こうには、僕らのいたアンナプルナもあるのだろうか。そしてそのずっと先には、モロッコがある。そして確かにその時、僕にはメルズーガの砂塵が空高く舞い上がるのが見えた。