それでも旅するバルセロナ

 10年ほど前に、ウディ•アレン監督の『それでも恋するバルセロナ』という映画があった。いかにもウディ•アレン印といった感じの、男女が惚れた惚れられた、フッたフラレたといって、恋愛が繰り広げられる作品だ。ストーリーの濃度もさることながら、目玉はなんといってもキャストで、スペインからはハビエル•バルデムにペネロペ•クルズ(この映画の後で、現実に夫婦となった)、そしてアメリカからはスカーレット•ヨハンソンという、もうこれ以上無いほどに濃厚なキャスティングだった。ラーメンで言うならば、固め•濃いめ•多めで全マシ、そして更にチャーシューを2枚追加したような感じ。とにかく、映画を見終わった後に「恋愛って怖いな〜」と、田舎の中坊にトラウマを植え付けるほどには濃密な映画だった。そしてそれは、スペインに対するある強烈な印象を与えることにもなったのだった。

“スペインってのは、やっぱ情熱的な国なんだな〜。”

 ヨーロッパを駆け巡るFlix Busは、マドリードを目指して夜のスペインを疾走していた。ジブラルタル海峡を挟んでタンジェの真上に位置するアルへシラスの街は、まだモロッコの危うげな空気を孕んでいたが、このバスに乗り込むとそこはもう既にヨーロッパだった。何がヨーロッパなのかと問われれば確たる実体は無いのだが、つまりはバスがキレイで快適だったのだ(何たって車内備え付けの液晶画面で映画が観れる!)。ヨーロッパ=清潔で洗練されている、という単純過ぎる図式しか持ち合わせていなかった僕は、このバスに乗り込むと同時に、“ああヨーロッパ、待たせたな!”と、渡辺正行しか言わないようなセリフを胸の内に吐いたのであった。

 スペインについて持ち合わせていた知識と言えば、先ほど述べた“情熱の国”ということと、マドリードバルセロナがいがみ合っているということくらいだった。これまで出会った旅人たちに、スペインに行く予定である旨を伝えると、彼らの間で必ずと言っていいほど勃発する論争があった。それは、“マドリードバルセロナはどちらが魅力的な街か”というテーマだ。バルセロナが良いという意見が多かったが、一度マドリード在住の女の子2人組とその話になった時には、彼女達は烈火の如く怒りながら、バルセロナが如何にダメな街か(そして勿論、如何にマドリードが素晴らしい街か)を力説していた。どうやらこの“マドリードバルセロナどちらが良いか論争”は、単純な二者択一の枠を越えたものであるらしかった。記憶に新しいカタルーニャ地方の独立運動にも表れているように、バルセロナマドリードは2つの異なる文化を代表するものとして、象徴的なライバル関係にある。人々の話している様子から判断するに、これは東京vs大阪の100倍くらい凄い(そういえば、大阪は大阪国という独立した国だった、みたいな小説あったな〜)。なのでせっかくなら両方とも行ってみて、どちらが良いか決めてやろ〜ジャン!という野次馬的な考えで、ノープランなヨーロッパ旅の取り敢えずの行き先を決めたのであった。

 

f:id:wonderwalls:20171003070320j:plainこちらがかの有名なサグラダ•ファミリア。生で見るとやはり圧倒的な存在感を放っていた。こんな建物が街のど真ん中にあり多くの人々に愛されているのなら、楳図かずおの家も建ててよかったんではないかと思えてくる。

 

 マドリードに着き、荷物を降ろすと、目的地も無いのでフラフラと辺りを歩き始めた。さすがヨーロッパに来ただけあってバロック様式の建物が建ち並び、その中に近代的なビルも顔を覗かせている。これまで旅してきた国々と違って、所謂先進国(他の国への差別的な意味は含意されていない、念のため)といった趣きだ。しかし何と言おうか、それが全ての街だった。決して悪くはないのだが、これまでの国々にあったヒリヒリする生気のようなものは無い。2時間ほど辺りを歩き回るともう飽きてしまった。やはり第三世界の方が旅するには面白いのだろうか。

 宿に戻りこの街について調べてみると、いくつか美術館のあることが分かった。しかも学生は無料と書いてある。美術については門外漢の僕だが、美術館に行くのは普段から好きだ。まあ作品そのものよりも、どちらかといえばあの空間そのものが好きなのだが(美術館に併設されたカフェの素晴らしさと言ったら)。しかもここマドリードのソフィア王妃美術センターには、あの『ゲルニカ』があるというではないか。これは見に行くしかない。なにせ『ゲルニカ』は多少ばかり思い出深い作品でもあるのだ。

 僕の地元は信号も無いような田舎の町で、同級生も20名ほどしかいなかった。中学校の卒業の際に、通常は業者の作った卒業アルバムを貰うと思うのだが、これくらいの人数にはもったいないと先生たちが判断したのかは分からないが、僕らの中学では木製のアルバムキットのようなものを自分たちで組み立て、そこに自分で写真を貼っていくという完全手作りの卒業アルバムを製作することになっていた。そしてその表紙には、美術の授業と連動して自分の好きな図柄を版画で彫るという作業があった。

 他の同級生たちは好きなキャラクターだったり何なりを彫っていたと思うのだが、その時僕は美術の教科書に載っていたピカソの『ゲルニカ』をふと目に止め、それを彫ることに決めたのだった。何故ゲルニカを選んだのかはよく覚えてないが、おそらくは人とは違うことをしたかったのと、そして何よりこの作品の持つ力強さと迫力に胸を打たれたからだった。田舎者の中坊にも、その絵の持つ他の絵画とは違う空気と存在感はハッキリと分かったのだ。当時影響を受けていた棟方志功のスタイルを真似して、顔を版画ぎりぎりまで近づけながら彫り進め、かくして僕の卒業アルバムには出来損ないのゲルニカが刻まれ、冴えなかった中学時代の思い出(今だって大してパッとしないのだが)と共に、今なお僕の心にも深く刻まれているのだ。

 

f:id:wonderwalls:20171003070832j:plainこちらはバルセロナの中心に位置するバルセロナ大学。日本でいうところの京都大学的なところなのだろうか。古くからのキャンパスを今なお使っており、その格好よさには頭が下がる。高層ビル化する日本の諸大学も見習ったらいいのに。

 

 ソフィア王妃美術センターは名前に相応しいほどに壮大でモダンな建物で、これを無料で拝覧出来るとは、さすがはピカソを生んだ国だ。Tシャツに褪せたジーンズという容姿を申し訳なく思いながら、中に入った。多くの常設展や特別展があったが、僕はいの一番にゲルニカへと向かった。そこはピカソゲルニカを描くまでの作風の変化やアプローチを年代順に並べた特別展で、その最後に目玉のゲルニカが展示されているという構成だった。あの作品に辿り着くまでにピカソが様々な試行錯誤を繰り返している様子を、膨大なスケッチや作品群を通して見た。天才もここまで苦悩するのかと、凡人のくせに大して苦悩していない自分を恥じながら、展示を回った。そしてついに、あの作品と対峙する瞬間がやってきた。

 多くの人々に包まれながら白塗りの壁にかけられた『ゲルニカ』は、周りの興奮とは対照的に静寂を纏っていた。しかしその静謐の中には、確かな情熱と躍動があった。想像より遥かに大きな額の中に描かれた、スペイン内戦で逃げ惑う人々。興奮の中に包まれた静寂、そしてその中に秘められた情動、という幾数にも重なった緊張感が僕を打った。教科書に載っているような海外の作品を生で見るのはおそらく人生で初めてだったので、その緊張と興奮もあっただろうが、それ以上にそういった凡庸な感情を超えた何かがそこにはあった。僕は時間を忘れて齧りつくように『ゲルニカ』を見ていた。8年の時を経て、ようやく僕の心に本物のゲルニカが刻まれたのだった。

 バルセロナの街は、確かにマドリードと比べて華やかだった。マドリードが首都であることにより否応無く質実剛健であるとするならば、バルセロナは純粋な観光都市としてその華やかさを遺憾無く発揮していた。観光都市と行政の中枢の両翼を担っている東京と大阪の関係性よりも、むしろアメリカ合衆国におけるワシントンとニューヨークの関係性の方が近いのかもしれない(ワシントン行ったこと無いんだけど)。

 バルセロナといえば、何といってもアントニオ•ガウディではないだろうか。芸術の街として多くの芸術家の作品が遍在するこの街だが、やはり圧倒的にメジャーなのは彼だろう。ついに完成することが決まったサグラダ•ファミリアを始め、バルセロナには彼の残した名作が数多くある。しかも中にはごく自然な日常として、現在も現役で使用されている建築物もある。中に入るには金がかかるが、外から見る分には街全体が無料の美術館なのである。

 グエル公園は入場料がかかるので諦めたが、他の建築群は街をふらつきながら鑑賞した。ベタな話だがやはりサグラダ•ファミリアは圧巻で、大友克洋のマンガのように細かい装飾が施されたその巨大な教会は、1つの建築物という枠を超えたシンボルとして鎮座していた。そういえばマンガ繋がりだと、何年か前に井上雄彦が雑誌『ブルータス』誌上にて、サグラダ•ファミリアを描いていたような。80年代以降の精緻なマンガ技法とガウディはどこかで呼応しているようだ。もしや彼らはガウディからああいった技法を着想したのかもしれない、などと想像し、「ガウディ“さん”を付けろよデコ助野郎!」と自分を叱責しながら、華やかな初夏のバルセロナを闊歩したのだった。

 

f:id:wonderwalls:20171003071407j:plainこちらがカサ•バトリョ。ディズニーにある土産屋みたいと思ってしまった。ちなみにバルセロナの写真しか無いのはマドリードの写真を何一つ撮ってなかったためだ。マドリードには写真には写らない良さがあるのさ。。。

 

 バルセロナの中心にはランブラス通りという有名なストリートがあり、そこには多くの店が軒を連ね、たくさんの人々で常に賑わっている。僕の宿はその通りを行った先にあったので、滞在中は毎日そこを通っていた。家族連れや観光客もいるが、そこにはもちろんアベック(カップル)も多くいるわけで、ここで僕はいかにスペインが情熱的な街であるか8年越しに再認識したわけであった。男は女の腰に手を回し女は男にしなだれ掛かり、互いをうっとりするような目で見つめている。そしてそこに子どもがいようが道の真ん中だろうが構い無く、思い思いの場所で激しいキスを交わすのだった。日本でこんなカップルがいれば奇異の目で見られるだろうが(今は日本でもこれくらい普通なのかしら)、スペインではごく普通のことらしくドギマギしているのは僕くらいである。そしてこれは何もランブラス通りに限ったことでは無く、バルセロナでもマドリードでもどこでもこういった光景は見られた。一度ある美術館に並んでいた時に前後をカップルに挟まれ、2組が激しいディープキスを始めた時には、如何ともしがたいやるせなさで、僕の心はダリのあの時計のようにねじ曲がったのだった。バルセロナを去るバスに乗り込み、またもや前席でイチャつく顔の濃いカップルを見ながら、やはりこう思わずにはいられなかった。

“スペインってのは、やっぱ情熱的な国なんだな〜。”

 

 

 

P.S

 この楽しかったスペイン旅から2ヶ月後、あのランブラス通りでテロが起き13名の人々が亡くなった。その時僕はイギリスにいたが、このニュースを聞き大きな衝撃を受けた。何しろほんの2ヶ月前に毎日テクテクと歩いていた場所だったからだ。あの時テロが起きていたとしても何の不思議は無い。そう思うと、本当に運が良かったとしか言いようが無いのだ。テロへの対策は当然必要だが、あの賑やかで華やかだったバルセロナの街が静かになってしまうのは寂しい。いつも通りの明るい街でいてほしいと思う。

 ちなみにマドリードVSバルセロナの勝敗だが、どちらもそれぞれに魅力的な街だったので、今回はイーブンということにしたい。ピカソVSガウディとするならば、芸術に勝敗はつけられないだろう。